「忠」の生き方?「患」の生き方?多様性時代の選択の難しさを考えよう

こんにちは。ステキ革命プロジェクトの岡山です。

すっかり忘れていましたが、昨日3月3日はひな祭りでしたね。
皆さんは飾りつけやお祝いはしましたか?

この日は桃の節句とも言われますが、その始まりは江戸時代だそう。
女の子の健康を願い、身代わり人形を飾って無事をお祝いするようになったとか。

5月5日は端午の節句で、男の子の健やかな成長を祝いますが、これまでのように性を男女で二分する習わしは、伝統文化として残るかもしれませんが、概念は自然となくなるような気がします。

性別を始め、働き方、結婚観、幸せの捉え方などが「多様性」へと舵を切りつつありますが、だからこその悩みや不安も出てきたとも言えます。

一昔前の日本なら、いい高校や大学に進学し、一流企業に勤めて社会経験をし、結婚を機に寿退社をして子をもうけて育児に専念、家族と幸せに暮らすのが王道の幸せのレールとされてきました。

そして親や先生など周りの大人たちが指し示す方向性に従うのが一般的でしたから「結婚は?」「子どもは?」など期待の言葉をかけられることも多々ありました。

でも、その常識も今や昔。

結婚や育児をしながらでも働き続ける選択をするなど働き方も多様化していますし、そもそも結婚や子どもを望まないなど、生き方も多様化し、社会的にも認める風潮が高まってきました。

これはつまり「幸せのレールを行かねばならない」というある種の呪縛から解放された、とも言えますよね。

だったら「好きな人生を歩めばいい!」はずなのに、なぜか不安が付きまとってしまう…

何をやっても満足ができない

人と比べなくていいはずなのに比べてしまう

何が自分にとって正しい選択なのか分からない

選択肢が増えたのはいいけれど、この状態では逆にストレスがかかってしまうのです。

決められた通りにやるのはラク。

「それはイヤだ!」と抗ってみても、自由になった先の自分の人生の設計図が描けなければ、「みんなはどうしているんだろう?」と周りを真似したり、自分の選択に自信が持てなくて迷ったり…と迷子のまま時間だけが過ぎていきます

中心軸がひとつなら「忠」になり、

中心軸がふたつなら「患」になります。

迷いがある、決めきれない中途半端な心は、「患」が現すように、
知らず知らずのうちに心も体も蝕んでいってしまうのです。

逆に「自分の行く道はこれ!」と定まればどうでしょう?

モンモンとする余計な考えにエネルギーを消費することなく、
無駄なく限りある命を完全燃焼する!いつもスッキリわくわく歓喜が溢れます!

次は、「患」ではなく「忠」の生き方になるヒントをお伝えします。
お楽しみに♪

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この記事を書いた人

nTech講師/awakey 代表/女性性開花マスター
幼少期に「地球に線を引いたのは誰か」という疑問を抱き、人間による「心の線」だと気づき人間不信に。反面、「人間はこんなもんじゃない!」という想いから、一人ひとりの個性の花を咲かせるべく、大手アパレルメーカーのデザイナーに就く。しかし「人間とは何か」を知らずに個性の発揮はできないと気付き途方に暮れるなか、ノジェス氏と出会う。すべてを切断し境界線を引くアナログ言語の限界、またすべての繋がりを回復し、何とでも関係性を築けるデジタル言語、パーソナルユニバースに感銘を受け、認識技術nTechの講師や女性性を開花させる個人起業家になる...

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