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たった1人との出会いが人生を変えた

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人間なんてダイキライ、産まれてこなければよかった…

人生とは?との問いに、皆さんはどう答えますか?

今、わたしの頭をパッと過ったのは「出会い」ですね。
オギャーとこの世に生まれてから、誰かや何かと出会わないことがないじゃないですか。

出会いの意味を広げてみると、「誰かや何かの協力や応援をもらうこと」とも言えるかなと。
そうやって、出会いを繰り返しながら生きるのが人生と言えるかもしれません。

考えてみると、人間ほど「未熟」な状態で生まれてくる生き物ってほかにあるでしょうかね??
仔馬や子牛の出産シーンなんかみても、産まれてすぐに立ち上がって歩き出します。
それと比べると人間の遅いこと!比較にもなりませんね。

だから人間は、産み落とされた状態で放置されたら生き残ることはほぼ、できないはずです。
でも、下手すると「勝手に大きくなった」と思いがち。
だけど「ひとりでも生きられる」と思うのは、壮大な勘違いですよね。

とまあ、偉そうに言っていますが、昔からこう思っていたわけではありません。
むしろ、「ひとりで何でもやってひとりで生きてきた」と思っていましたし、
子どもの頃からずっと、ひとりで生きたい派。極度の人間ギライだったんです。

なぜ嫌いなのか?
その理由は、何日でも語り続ける自信があるほどたくさんあります(笑)たとえば…

  1. その1:親の不仲 → 人の心はコロコロ変わるんだ!永遠の愛なんてないんだ!
  2. その2:学校で女子たち → 仲良さそうにしてても、姿が見えない子の陰口が絶えない! 
  3. その3:本音と建前の使い分け → 電話口の母親の声のトーンが普段と違いすぎる!
  4. その4:動物的な男性たちの裏表 → 二人きりになると豹変する男たち…コワイ!
  5. その5:自分のなかの心模様が不安定すぎる → ルンルンだったかと思えば次の瞬間、理由もなくブルー
  6. その6:世の中のニュースのウソとホント → 東西冷戦時代、悪の代名詞、ソ連。行ってみたら違った!

・・・。挙げたしたらキリがないので、いったんここまでにしておきます(笑)
ひとつずつの内容に関しては、別記事で改めて具体的に掘り下げようと思います。

ということで、とにかく生きづらくて生きづらくて、産まれてこなければよかった、なんで産まれてきちゃったんだろう…と、いつも考えていたように思います。

イヌもネコも人間もすべてが敵!ATフィールド全開で、孤独街道まっしぐら

そんな私はどうしたのか?

笑顔しながら上手に合わせるという処世術を持ち合わせていなかったので(ようは不器用なのです)、人の輪に入らず、ひとりポツンと教室の隅っこで過ごしていました。

まさに透明人間ですね。存在感を消して、見えないバリア(ヱヴァンゲリヲンでいうATフィールド)をしっかりはって、防御態勢ばっちり。なので、小学校の通知表には「存在感がない」とまで書かれました(笑)ある意味、大成功です、私の作戦。

じゃあ、動物や植物に救いを求めたのか?といえば、それもできず。
というのも、人間だけならまだしも、犬猫たちも、もれなくコワイ対象だったんです(救いようがない💦)
横断歩道のど真ん中にネコが居座っているだけで、信号も渡れないなんてことも。。

人間にも、動物にもバリアをはって、テレビもくだらなく思えて、本も読まず…。
自分のアタマの中だけで会話していたので、めちゃ孤独でした。

小学校2年生の通知表。
「存在を忘れそうになることがある」とハッキリ書かれていますね。

そんな私も、いざ社会にでるとなると、さすがにATフィールドの中だけではまずい…と危機感を覚えました。
そこで、ちょこっとだけ殻を破る努力をしてみました。

たとえば…、周りと話が合うように興味のない俗世や流行りもの(…世捨て人のようだったのです。天然記念物と言われるほど)を勉強してみたり、遊びに誘われたら行ってみたり…。

最初は、「お?なかなか社交的になったんじゃん!?意外といけるかも…」と、淡い期待も抱きました。

が、しかし。新たな問題が勃発するのです。

みさ

合わせすぎて自分がわからなくなっちゃった…

上司に合わせ、同期に合わせ、彼氏に合わせ(負け組と言われないようにとりあえず付き合ってみた)、世の中に合わせ…と、「どう合わせたらうまくいくんだ?」と、人の顔いろばっかりみてるうちに、気づいたら「自分は何が好きで、どうしたいの?」を見失っちゃったんです。

さらに、追い打ちをかけるのが自分の中でささやく、こんな声。。
「関係性は有効期限があるよ。期待しないほうがいいよ。どんなに今、いい関係でもいずれ壊れる時がくるよ。」と。
だからなおさら、相手に「切られないように」と内心ビクビクなんですね。

表面上はうまくやっているようで、心のどこかで「この人もいつか裏切る」と、不信感いっぱいの関係性だったのです。

「この人は大丈夫」。人生で感じたことのない不思議な安心感

今思えば、いつも緊張状態で心底、安心をしたことがなかった30年余りの人生でした。
でも、ある人との出会いで、それが一変したのです。

みさ

え!?なに…。この人は大丈夫だ…。

生まれて初めて感じる「安心感」をその人から感じたのです。
一瞬で、「この人だ大丈夫だ」と、心の声がしました。
ただ、初めてのことだったので自分でもワケがわからず戸惑いましたよ(笑)※スピでもなんでもないので…。

とはいえ、根っからの猜疑心の塊なので、心で感じる安心感とは裏腹に、
「騙されるものか」というアタマの防御はバリバリ働いていましたけどね(笑)

ちなみに、あの出会いの感覚は、当時は本当に不思議でたまらなかったけど、
今では「なぜあのように感じたのか」を説明ができます。それはまた、おいおい語っていきますね。

ということで、その人との出会いで、生まれて初めて呼吸ができたような感覚になり、
それから20年余りで、すっかり人間大好きなわたしになっちゃいました。

人は絶対に裏切る、無条件に永遠に続く関係なんて綺麗ごとだ!

そんな想いもすっかり払しょくされました。

なぜなら、裏切らない関係、条件によらない関係をすでに実感しているから。
「騙されないぞ!」と何度も自分のアタマの中と闘ってきたけど、さすがにもう、降参です。

あんなに頑なだったわたしを変えるキッカケになった出会いは、ノジェス(Noh Jesu)さんとの出会いでした。

なんと彼は、21世紀の悟り人・令和哲学者です。

え?悟り?どういうこと?

皆さんのそんな声が聞こえてきそうです(笑)

このブログでは、ノさんとのこと、私のアタマも心もノックダウン(いい意味で)させたnTech、令和哲学、NR Think methodのことなどなど、徒然なるままに綴っていきます。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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