生命=機械?!人間と機械の共通点と違いとは?
突然ですが質問です。皆さんは「自分」や「人間」をどう定義しますか?
人間は生命?それとも機械?はたまた精神体?
動物と人間はどう違うの?
AIとの違いは?
臓器を3Dプリンタでつくって、ほとんど入れ替えたら人間なの?
クローン人間は生命?機械?
感情がある、ないが生命と機械の違いなの?
生物工学、サイボーグ工学、非有機的生命工学などの飛躍的な発展に伴って、こんな疑問を抱いている人は多いのではないかと思います。
58回目を迎えたNoh Jesu映画哲学オンラインサロンでは、トピックのひとつに以下の記事をピックアップしました。
クローン人間は人間である、それでは人工脳は人間か
https://forbesjapan.com/articles/detail/41267
この記事にもある通り、日本では生命倫理についての議論は、あまり無いようにみえます。
とはいえ、クローンやAI(人工知能)の流れは止まらず、近い未来にはごく身近な存在になるはずです。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という日本人特有の集団心理に留まっていては、いまのような変化の激しい時代には、危険です。
「これまでは何とかなった」からといって、「これからも何とかなる」とは限りません。漠然とした淡い期待を胸に、いままでの延長線上で、「よくわからないけど、みんながそうするから」と、意思決定権を自分の外側に委ねていたらどうなるでしょう?きっと、「赤信号をみんなで渡って、みんな死んでしまう」のではないでしょうか?
記事の最後のほうでは、こんな問いかけがありました。
私たちは私たちの知らぬ間に、私たち自身を裏切ってしまうことが多くある。
https://forbesjapan.com/articles/detail/41267
人工の肺を許す私たちは人工の脳を許すだろう。人工の脳を許す私たちは、それを持ったロボットを許すだろう。
そのとき私たちは、ロボットとクローン人間の違いを、ロボットと人間の違いを明確に切り分けることができるだろうか。ロボットがいだく悲しみや苦しみと、私たちがいだく悲しみや苦しみの違いを指摘することができるだろうか?
時代に流されるがままに、自身の中での明確な答えを持たないまま、体内や脳へのインナーチップが義務化されたとしたら?
自ら選択するのか、外から変化を強要されるのかは、尊厳にかかわる大きな問題です。
「人間とは何か」を再定義する
とはいえ、人間と動物、AI、クローンなどとどのように線引きすればいいのか、どう答えを出せばいいのかー。
これは、「脳」を基準にしたこれまでの人間のものの見方では、簡単に出せる答えではないはずです。
脳でみれば、生存意志で生命のDNAを守ろうとするレベルだから、人間と動物は大差がありません。
でも、人間と動物は違う。だったら、その違いを明確にすべきです。
クローン人間にも、動物にも、AIにもできないこと。それは、意識の大爆発(=悟り)です。
これは、人間だけに備わった「人間最高の機能」、だけどその機能をこれまで眠らせていたのですね。
意識の大爆発が起きてようやく「人間、やっと始められる」
意識の大爆発が起きることで、すべての源(源泉動き、心)からエネルギー、物質が成り立つ関係性、つまり宇宙のロゴスがみえる。そこからすべてをシンプルに整理できたときに、誰もがスッキリと納得できるようになる。
オンラインサロンの中で、Nohさんがサラッとおっしゃっていた人間の絶対条件をご紹介しますね。ひとつひとつの内容については、ここでは書かないので、ぜひNohさんのお話を直接きいてみてください♪令和哲学カフェ(無料)では毎晩、質問コーナーもありますし、ほかにもたくさんの場でNohさんの話が聞ける場があります。
Noh Jesuが提唱する人間の絶対条件・5項目
- 尊厳そのものになること
- 自己の法律(立法理性)を立てること
- 言語概念から自由になること
- 今ここ無条件でスッキリ幸せであること
- 美的センス。真理の花を咲かすこと
人間とは?生命とは?精神とは?人工知能とは?クローン人間とは?
これらに限らず、しっかりと基準点を設けることで、自ずと倫理観も整理され、迷いがない意思決定や判断ができるんだなぁと改めて感じた時間でした。
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