もうひとりの「わたし」になれる場所
メタバースという言葉、知っていますか?
言葉自体を知らなくても、映画『レディプレイヤーワン』や『竜とそばかすの姫』をイメージしたら、そういうことか~となると思います。ようは、いまの現実とは違う、「もうひとつの世界、もうひとりのわたし」です。
皆さんは、どう思いますか?仮想空間での、新しい自分。もうひとりの「わたし」。
そして、そこでの出会い、出来事。
ココからは「竜とそばかすの姫」のネタバレを含みますので、ご注意を!
竜とそばかすの姫の設定が面白いなあと思うひとつは、「スキャンした生体情報から自動生成が行われ、デバイスが常時本人の生体情報と連動している」というもの。
これ、本人も知らない「自分」のキャラが浮き彫りにされるわけでしょう?こんなものがあったら「やってみたい!」と思うんじゃないかな?
「わたしってなんなの?」
これって、人間だったら誰もが願う、共通の疑問であり、一生のテーマ。それに、
「わたしはこんなもんじゃない!」
ってのも、恐らく誰のなかにもある心の叫び。
本当のわたしは、もっともっとすごいんだ!その可能性を爆発させていきたい!
こんなわたしを脱ぎ捨てて、本当のわたしになって、「わたし」を世界に知らしめたい!って。
主人公の「すず」は、歌が大好き。だけど、幼少期に母親をある事故で亡くしてからは、人前で歌えなくなってしまう。そんな「すず」が、仮想空間 < U>に入ると…。本人もびっくりの美貌の歌姫「ベル」に変貌し、不思議な歌声で、仮想空間内の人々を一気に魅了していく。誰もが「自分のために歌ってくれている」と感じ、人々の心に染み入っていく…という話からの展開なのだけど。
この「すず」と「自分」を重ね合わせて、「いつかわたしも…」と思う人も多いのではないかなー(勝手な推測ですが)
アンベール(unveil)する?される?
ところで、劇中でもうひとつ注目すべきは、「アンベール( unveil )」という言葉。
単語を調べてみました。
- 〔~の〕ベール[覆い]を取る[外す]
- 〔秘密などを〕明かす、明らかにする、公表する、公にする、発表する
ベルは<U>で、アンベールされる危機にさらされ、必死に逃れようとします。
アンベールされちゃったら、現実での「すず」が「ベル」だったとバレちゃう。「すず」のときは、人前では歌えない内気な少女なのに、まさかその自分が人気絶頂の「ベル」だとは誰にも知られたくない。だって、現実ではいまだに人前で歌えないのだから…。
でも。そのすずはあるとき、「アンベール」を決意して自らアンベールし、<U>のなかの人たちに驚きと感動をもたらします。(どんな決意かは、ぜひ映画をご覧ください)
そのとき、すずは、本当の意味で「すず=ベル」になったなと感じました。
強いんですよ。もう弱虫の、隠れているすずじゃない。堂々と、力強い、すずに生まれ変わった。
むしろ今までの弱い「すず」が仮の姿(アバター)であって、その「すず」が死んで、ホンモノの「すず」として生まれ変わったとでもいいますか。nTechでは「生きたまま死ぬ」と言いますが、その悟りの境地にも似たような感覚がしましたね。
ちなみにわたしも、nTechという認識技術をせっせと使うことで、見事アンベールを果たし!!
いまでは生きるのがラクになった…だけじゃなく、本当に人生を楽しめるようになりました(⋈◍>◡<◍)。✧♡
生きたまま死ぬって最高ですよ✨
メタバースのコワさ
まあ、いろいろ言いましたが、わたしがこの映画を観て真っ先に感じたこと、それは、「メタバース、こわっ!!」でした。
なぜか?
それは、SNS内で起こっている誹謗中傷が輪をかけて酷くなるのがリアルにみてとれたからです。
誹謗中傷だけでなく、派閥とか、それぞれの正義を振りかざして争うとか、言いたい放題、本音をぶちまけるとか…。まさに無法地帯ですね、これは。。
でも。これって当然だなあとも思ったワケです。
だって日常では、一生懸命に仮面を被って、無理やり「合わせて・妥協して・演じる」フリ人生を送らないと、社会から爪弾きにされるから。ごはん食べていくためには、「我慢」という犠牲を払いながら、自分を殺しながら、意にそぐわないことも「はい、そうですね」と言わざるを得ないから。多かれ少なかれ、誰もが「社会」を成り立たせるために、何等かの我慢をしているし、それが「当たり前だ」と、「生きるってこういうもんだ」と、自分に言い聞かせながら生きている。
だけど…。
無理やり我慢していたら、反動はどうしたってくるのです。だから、ため込んだものを吐き出すのに、飲み会やカラオケや、衝動買いや、暴飲暴食、旅行、下手したら薬物(←これは日本では少ないけど、海外ではかなり問題)などでガス抜きをする。だけど、コロナでこれらも制限されて…となると、次なるターゲットは「オンライン空間」となるわけで。となれば、SNSよりも「メタバース」になったら、よりこの流れは加速するだろうなあと思うわけです。
そしてもうひとつ。映画『レディプレイヤーワン』での話も加えるならば、あの映画の冒頭シーンを思い返してみてほしいのです。
この予告編でもこう言っています。『2045年、救いようのない世界で、僕たちが生きる場所。超リアルなVRワールド<OASIS>』と。
想像してみてください。このまま気候変動が続き、AIが人の仕事を代替し、人間がベーシックインカムで生きるようになったら…。現実世界に生きる意味価値を見いだせず、自分の存在価値や意義も見いだせないとしたら…。
だとしたら、現実を置き去りにして、仮想空間のなかに逃げ込んでしまうのは、容易に予測できると思いませんか?レディプレイヤーワンの冒頭シーンは、まさに「こわっ!」と寒気のするシーンでした…。
だから思うわけです。いまのままメタバースが暴走したら、人間はより「生き辛く」なるだろうと。
モルティングバースとデジタル哲学
なので。
メタバースだけを走らせるのではなく、メタバースの背中を押して、いまよりも10000倍楽しめるようにバックアップするものが必要、だと思いませんか?
でも…。
そんなもの、どこにあるの??
ただの夢物語を語ってんじゃねーよ!
というそこのアナタ。大丈夫。あるのです、そんな夢のようなものが。
それが、モルティングバースと、それを可能にするデジタル哲学です。
そもそも、IT後進国と言われる日本は、いまのままデジタル技術を後追いしても、どうにもならないところまできています。ようは、今の時点ではすっかり負け組。このままいけば、日本の存在感はますますなくなり、国ごと消滅するかもしれない。
でも。そんな日本が一発逆転!する道がある。それが「デジタル哲学」なんです。
いまのままデジタル技術だけが走れば、レディプレイヤーワンのような未来が待っているでしょう。
その未来を阻止して、地球も安心できて、人間は現実も、メタバースも楽しめて…という、壮大でワクワクな未来を可能にするもの。それがデジタル哲学とモルティングバースなのです。
いったいどういうこと???
という方は、ぜひ、コチラをおススメします。
これ、普段は会員限定だけど、今回は誰でも参加できます♪
そして。もっともっと詳しく聞きたい方は、コチラをどうぞ!
ちなみに、Dignity2.0国際カンファレンスでは、オフライン・オンライン・メタバース(zepet)の3会場で開催されます!
メタバースを運営するJeiGridによるPV動画もぜひご覧ください♡(動画が直接リンクできなかったので画像下のURLをクリックしてね)
お読みいただきありがとうございました♪
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