漠然とした期待というワナ
わかってもらえた!嬉しい♡
こんなふうに誰かと分かり合えた経験、ありますか?
「この人となら分かり合えるかも!」
そんな期待を胸に関係性を深めた先に、例外なく出会うもの。
それが「この人もやっぱり分かり合えなかった」という失望感ではないでしょうか。
「失望感なんて感じない、分かり合えています!!」という人も、中にはいるかもしれません。
でも、実際はどうでしょう?よーく観察してみてください。
人間関係を「キャンプファイヤー」の距離感で例えることがありますよね。
火に近づきすぎたらヤケドする。
かといって、離れすぎたら寒い。
なので、付かず離れずなのが程よい大人の距離感、ちょうどいい。なんていうように…。
この「付かず離れず」の距離感がデフォルトの人からしたら「分かり合えた」と思うのかもしれません。
ですがこの関係性は、いわば「互いに深く入り込まない関係」、つまり大前提が「浅い人間関係」なんですね。
ですから、自分自身のなかで、「分かり合えたという基準」を、緩くしているだけなんです。
本当に分かり合えた!と言えるのは、自他ともに境目がない状態。一致した!ということ。
だから、付かず離れずの大人の距離感では、残念ながらそもそもが「ムリ」なのです。
そんな人も、内心わかっているのではないですか?
「分かり合えたことにしよう」と、自分に言い聞かせ、折り合いをつけ、妥協していることを。
人間関係の処世術とも言えるこの結論に至るまでに、たくさんがんばって、傷ついて、諦めた結果かもしれないですね。
そうではなくて、もし本気で「心底分かり合えています!!」と、寸分の疑いもないのであれば、
相手が我慢や妥協をしている可能性もあります。知らずに相手に我慢させちゃうことはキツイですね💦
ところで、なぜわたしはこんなにも「分かり合えない」ことを強調するのでしょう。それは、
人間同士で分かり合うことに淡い期待、漠然とした期待を持ってほしくないからです。
えっ!それじゃ人間は絶望的じゃないですか…。人間関係は諦めろとでもいうのですか?
そう思うのも無理はありません。
でも、そうなんです。オギャーと生まれたままの人間の初期設定は、分かり合えないようにできています。
そして、このことをしっかりと理解することで、これまで想像もしなかった「分かり合える人間関係」に出会えます。
さらに言えば「絶対に裏切らない人間関係」、「何を言っても・やっても互いに安心の心」の人間関係をつくれるあなたになるのです。
あなたが見ている世界と同じ世界を見た人は、一分一秒も、誰一人もいないという事実
デビルマンというアニメ、皆さんはご存じですか?
主人公・不動明(ふどうあきら)が、悪魔の力を宿してヒーローとして戦う物語です。彼は普段は普通の人間だけど、変身すると肌が緑になるんですね。
その影響があるのかどうかわかりませんが、私は子どもの頃からこんなことを考えていました。
「私が思う“肌色”はこんな色。だけど○○さんからみた“肌色”は、単語は同じ“肌色”だけど、私の中の緑かも…。デビルマンのような色かも…」
ほかにも、「トンボは目がたくさんあるらしいから(※実際に「複眼」で1万個~3万個あるみたいです!)、どんな風に見えているのだろう?」なんてことも考えていました。
自分とほかの人、もしくはほかの生物が「同じ世界をみていない」と疑ってかかった私は、こんな考えに悩むようになりました。
「正しいといえるものが何もない。だから何ひとつ、自信をもって主張することができない」
物心ついたときから「ひとりぼっち」だったのに、輪をかけて孤独になったのは言うまでもありません。
私が子どもの頃に妄想していたほど、人間同士の個体差はないでしょう。
でも、ひとり一人の五感も脳も違うから、当然、見ている世界、聞こえている世界など感覚は違います。
視力も張力も違う。見てる角度も違う。
疲れているとき、元気な時も違う。
だから、1分、1秒も、生まれてから一度も自分の見ている世界を誰とも共有したことがない。これが人間なんです。
でもどうでしょう?冷静に頭で考えると「だれも同じ世界をみていない」ことに反対する人はいないはずです。
けど、日常では「え!ここにあったじゃん!」と、見た・見てないで争ったり、
言ったじゃん、やったじゃんの応酬になりますよね。
例えばパートナーと一緒にドラマをみているとき。
泣くほど感動して涙を堪えていたのに、隣でポロッと「つまんねーな…」と聞こえてきたら。
「この人とは感性が違う」とガッカリしたりしませんか?
同じものをみているから、同じように感じるはず。
これ、勝手に期待しちゃうんです。
どこか無意識に「同じ世界をみている」と大いなる錯覚をしてしまう。
勝手に期待して、勝手に失望するだけ。相手は何も悪くない。だって、違う世界をみているのだから。
騙して・騙されて…。人間関係は、騙し合いしかない?!
生まれた時から、ひとつの部屋の中でしか生活したことがない。
映画「ルーム」の主人公・ジャックは、壁の外があることを知らず、テレビの中の人はニセモノだと思ってました。
あなたが見ている世界と同じ世界を見た人は、一分一秒も、誰一人もいないという事実は、ジャックが閉ざされていた世界よりも、もっと狭い。そこに誰もが閉ざされていて、「その中がすべてだ。絶対だ」と疑うことがないのですね。
そうなのに、ほかの人たちと同じひとつの世界に住み、互いにシェアしていると思い込んでコミュニケーションするから、人間関係は本当に大変です。
自分だけの小説。
自分だけの思い込み。
自分だけのATフィールド。
それを共感して!と互いに強要する。しかも笑顔で。無言で。
絶対に分かり合えないですよね。
アリに「なんでこいつはこんなに遅いんだ」と怒る人はいないでしょう。
でも、人間同士だと、自分の基準に当てはめて怒りたくなって、自分の基準でジャッジしちゃうんです。
もっというと、人間関係は、騙して・騙されてという騙し合いしかありません。
いったい、どういうことでしょう?
あなたの見ている世界、あなたの小説だけが正しいといえますか?
人間の見ている世界だけが正しくて、犬や猫やトンボが見ている世界が間違いですか?
誰かの小説が正しくて、ほかの人が間違っているなんてことはありません。
誰もが「自分にとって正しい」、けど、ほかの誰かにとっては間違いなのです。
だから、正しい世界なんてひとつもありません。
目でみている世界は、騙す・騙されるものなのです。
このことは、なかなかギモンが残ると思いますので、また別の機会にお話ししましょう。
一人ひとり、見ている世界はまったく違う。だから一瞬たりとも共有できない。
なぜ共有できないのかの理由、原因を知ることから始めよう。
引きこもりの部屋の外があることを知れば、心底、分かり合える関係性はつくれる。
イチオシ情報
- 目でみたらなんで騙すことになるの?
- 自分の世界の引きこもりってどういうこと?
- 引きこもりの外の世界に出るには?
こんなギモンを解決するには、「絶望シミュレーションワークショップ」がおススメです。
思いっきり、自分と人間の「究極の絶望」に出会うことができます。
絶望といっても、体験や経験で「絶望してください」というものではないのでご安心を。
キチンと考えをひとつひとつ整理するとたどり着くものが「究極の絶望」です。
あなたの現在地をしっかり整理すれば、信頼の人間関係づくりの道がグンと広がります。
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