自分のなかの矛盾
自己否定の塊だったわたし。
自分の存在なんて取るに足らない、この世界に何の影響力も持たないし、死んでしまっても一瞬、私を知る誰かが悲しくなるだけで、それでも変わらず地球は回るし、世界は動き続ける。
そもそも、いずれ死ぬのになぜ生きるのだろう。そしてなぜ死ぬのだろう…。まったくもって無意味なんじゃないか…。
物心ついたころから、すべての存在やすべての意味や価値に対しても、そんなふうにずっと、斜に構えながら懐疑的にみていました。だから心の中は、虚無感に支配されていましたね。自身の存在に対してはなおさらで、「存在してごめんなさい」とまで思っていたほどです。
存在に対する罪悪感でいっぱいだったのに、不思議なことに「わたしはこんなもんじゃない!」と傲慢とさえ思えるほどの根拠のない自信感やプライドも人一倍ありました。
だから、そんな自分に戸惑うのですよね。「いったい、わたしはどっちなんだ…」と。
自己内矛盾が激しくて、自分で自分がわからなすぎて、「分裂症?頭がオカシイの…?」と、考えても一向に答えがでない悩みに、ずっと苦しんでいました。
その矛先は人間に対しても向いていて。
- 人間はバカだ
- 人間はこんなもんじゃないはずだ
という2つが共存して、つねにゴングが鳴っていました。
人間に対する諦めるべきだという心と、いや諦めるべきではないという心の葛藤が止まらなくて疲れるんですよね。
わたしの出した答えはこうでした。
「いまの人間が人間としてマックス(最高潮)だとしたら、この先、人間としての未来をつなぐことに何の意味があるのだろう?こんな人間たちの未来は絶望的だ。だったら、『人間、こんなもんじゃない!』を追求すべきじゃないか。」
そこで当時、高校生だったわたしは大学進学の道を選ばずに、アパレルデザイナーを目指すべく、服飾の専門学校に進路変更をしたのでした。(そこで挫折しますが省略します)
皆さんはどうでしょう?
「自分はこんなもんじゃない!」という根拠のない自信を持っていたりはしませんか?
根拠のない自信を周囲の人に語ると、様々な反応が来ますよね。
「何も成し遂げてないのに大きな口を叩くな」
「何もできないことを正当化する言い逃れだ」
「ナルシストだ」
「単なるエゴ、自己愛が強いだけ」
などと、批判を受けることがあるかもしれません。
また、顔では笑顔だけど、心の中で呟いているかもしれない。
もちろん、応援してくれる人もいると思います。
また、根拠のない自信をもつ自分自身に対して懐疑的になったり、チャレンジしないことへの言い訳にするなどもあるでしょう。
根拠のない自信は、本来は誰もが持っている
人間関係がほぼ皆無で、誰かに自分の話を共有することもなかったからか、自己内矛盾や根拠のない自信を持つ人はごく少数だと思っていました。ですが、いざいろんな人と話してみると、多かれ少なかれ、誰もが自分に可能性を感じていたのです。
nTechを学んでわかったことは、「こんなもんじゃない」と感じることは、ごく自然なことだということ。
そうなんです。当たり前なんです。宇宙のロゴスを解き明かす技術・nTech(これについては、また別の機会にお話ししますね)でみれば、皆さんの深い深い根源は、紛れもなく無限の可能性そのもの。だから、その自分が叫んでいるのですね。
王子が乞食になって生きる「王子と乞食」の物語を例えにみてみましょう。
今のあなたは、「乞食の服を着た王子」だとします。王子が乞食の服を着て、多くの苦労や痛みを繰り返している状態です。そのあなたが、乞食の服を脱いで、本来の自分に出会いたい!わたしは乞食じゃない!こんなもんじゃない!と叫んでいるのです。
根拠がない自信はこんなリスクがある
ただ…、これまでは、その叫び声に対する「根拠がない」から厄介だったんですね。
根拠がないとどうなるのでしょう。ランダムに挙げてみますね。
- 根拠がない自信をもとに「やる気」スイッチを入れる
- 深く考えず、とにかくやる気に任せてやってしまう
- うまくいかないときは「タイミングじゃない」などと、他のせいにする
- 「もっとやればできるはず!」と、さらに自分にはっぱをかけてみる
- 「やればできるとわかっているから大丈夫だ」と、言い訳して後回しにする
- 根拠がないので、ちょっとでもうまくいかないときは不安になる
- 実は常に「漠然とした不安」が拭えない、付きまとう
どうでしょう?皆さんも思い当たる節はありませんか?
根拠のない自信をそのままにしておくことは危険です。
でも、「自信の根拠」が明確になれば、そのチカラを存分に活かすことができます。
根拠がある自信を持つには?
自信の根拠を持つために、一般的には、
- 経験や実績を一歩一歩積み重ねる
- できないこと(×)ができるようになる(○)
- わからないこと(×)がわかるようになる(○)
- 過去のトラウマを取り除く
- 「やればできる!」と魔法の言葉をとなえる
などが挙げられるのでしょう。でも、これらは一時的なものに過ぎません。
できることや知識をどれだけ増やしても、できないことやわからないことは、次から次へと生まれ続けます。
自分よりもわかっている人、できる人も際限なくいます。
過去から自由になることは、人間の仕組みを明確に理解しない限り、その道はひらけませんし、「やればできる!」と、根性論や精神論の魔法の言葉をいくらかけても、根っこにある漠然とした不安がひょこひょこと顔を出します。
王子と乞食の話をしましたが、まずは「乞食の服を脱ぎたい!」と、無意識からの叫びではなく、あなたの声として意識的に、能動的にその叫び声をあげること。そのとき初めて、乞食の服を脱ぐヒントに出会えるでしょう。
イチオシ情報
- なぜ根拠のない自信を持つの?
- 乞食の服を脱ぐには?
- 根拠のある自信を持つには?
- 人間の仕組み、カラクリを理解するには
このようなギモンをスッキリ解消するカギは「究極の絶望」に出会うこと。
絶望といっても、体験や経験で「絶望してください」というものではないのでご安心を。
キチンと考えをひとつひとつ整理するとたどり着くものが「究極の絶望」です。
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